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あせった(;゜0゜)

ふだん仕事で使っているデスクトップパソコン(Windows7)に、
何度も何度も
「Windows10にアップグレードできます」案内が出てくるので
説明を簡単に読んだら
「今あるアプリはそのまま使える」
「すべてのものはそのまま」
のような感じだったので、夜中にアップデートの予約をしました。

翌日、パソコンを開けてびっくり(゚д゚)
青いおしゃれな画面になっていたのはいいけど、
デスクトップに年度別においてあった写真類や資料ファイル、
普段使っているソフトへのショートカットアイコンなど
すべてがなくて。

コンピュータのハードディスクの中に
あるのはわかったけど、
自分で長年仕分けして
わかりやすく、使いやすくファイルしてあった資料類は?
仕事で使っていたソフト類も
出てこないものが多いので調べてみたら
対応していなくて「使用不可」になっていたり。

何より困ったのは、
新聞発行時代に大枚をはたいて買った
アドビの編集ソフト。
今やはるか彼方までバージョンアップしているけれど
使い勝手の良さと資金面の都合により
いまだに当時のままのバージョンで
頑張っているすぐれもの。

それが、な、なんと
「使用不可」になっていました。

あせりにあせって
別のノートパソコンで対応策を検索。
一番最初に目についた
「Windows10へのアップグレードで困ったら」の
メール相談コーナーで
順に、メルアド、名前、症状等を詳しく書いていったら
最後の最後に
「有料相談」だとわかったり。

すったもんだの末に、1か月以内なら
「Windows10にアップデートしたパソコンを
元に戻す」ことができるとわかり
手順に従って、回復作業をしました。

回復作業は至って簡単で
無事終了、となったものの、
はたしてショートカットや資料を並べたデスクトップは
そのまま出てくるのか…。
もう一度作り直しになったら悲惨…。

祈るような気持ちで
懐かしい(?)Windows7の立ち上がりを待っていたら…。

出てきました。
画面いっぱいに広がるファイルやアイコンの数々。
ありがとう!
消えないでいてくれて。

この間、夜中の数時間。
久しぶりにドキドキ青ざめたひととき。
これからは、よく読みもせず、
安易にバージョンアップしたり
なんにでも、まあ、やってみよう方式で
とりあえず取り組むのはやめておこう。
少しは大人になろうと反省させられた事件でした。

それにしても画面いっぱいのファイル。
少しは整理しなくては…ネ。
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新制作展

P1070192ブルー縮小
(「感覚でブルー」)
「めくるめく赤」
(「めくるめく赤」)
(写真は、糸田さんのご了解をいただいて掲載。クリックで拡大できます。)

シルバーウィークの一日、知人と
六本木の国立新美術館で開催されていた
「第79回新制作展」を鑑賞してきた。

新制作協会は1936年(昭和11年)
猪熊弦一郎らによって創立された歴史ある芸術団体。
同展には、印西市在住の画家、
糸田玲子さんも、毎年新作を出展しておられる。

糸田さんは御年91歳。
今年はさすがに新作の発表はないかも、と思いながら
彫刻3スペース、野外彫刻、絵画34スペースの
広い会場を順に回っていたら
若い作家たちの意欲あふれる作品群の中から
赤と青を基調にした2枚の大胆な絵が
目に飛び込んできた。
鮮やかで美しい色合いの
見る者の心に射し込むような抽象画の
生命力、バイタリティには
毎度毎度驚かされる。

いつ描かれたものだろう、とよく見たら
2枚の絵とも、一隅に“玲Itoda 2015 age91”と
署名があった。
糸田さんを知らない人は、
この情熱的な作品が91歳の手になることは
想像もつかないだろう。

糸田さんのご主人、故・糸田芳雄さんも同協会所属の画家。
昨年1月、船橋市民ギャラリーで
「糸田芳雄・玲子回顧展」が開かれ、
その圧倒的な作品群にふれることができた。

こうした素晴らしい画家が
同じ印西市に住んでおられ
年齢に関係なく情熱的に作品を描いておられることや
生命の躍動そのもののような作品を
ぜひ、市内の人々や子どもたちにも
知ってもらえたら、と思う。

P1010763糸田回顧展
2014年1月開かれた「糸田回顧展」
P1010773回顧展糸田
「回顧展」での糸田玲子さん


より道やっちゃん 昭和の子どもブック

より道やっちゃん

印西市在住のデザイナー・絵本作家
ロコ・まえださんが9月15日発行された新刊
「より道やっちゃん 昭和の子どもブック」
アマゾンで予約していたのが届きました!

いい!いい!
とってもいいですね!
木造校舎の階段の手すりや
身体検査、ガリ版刷りのテスト、ごむとび、など
そうだった、そうだった、と
懐かしい光景がすぐそばに帰ってきたようです。

何度も何度も繰り返し読めます。
今の時代の子どもたちにも
こんな昭和の子どもたちがいたことを
お話してあげられますね。
しかも、自分が「やっちゃん」になりきって。

原っぱ、秘密基地、駄菓子屋、
ぬり絵、雑誌の付録……
貧しいけれど未来に向かってみんなが明るかった
昭和30年代の日々が帰ってきます。

この時代の子どもたちの目から見て
今の時代はどう映るのかな?
「鉄腕アトム」やSF小説を読んで
「21世紀」はみんなが豊かでとても便利な
理想的なユートピアだと思っていたけれど…

感傷はさておき。
ともかくみんなでタイムマシンに乗って
昭和30年代に帰ってみましょう!
辰巳出版「より道やっちゃん 昭和の子どもブック」
作者ロコ・まえださん。1200円。
おすすめです。

市議選を振り返って~H27年4月

4月26日の印西市議会議員選挙から
はや10日が経ちました。
今回の選挙は、前回に比べ
議員定数2名減の22名のところ、
現・新・元30名が入り乱れての
大激戦となりました。

こうした中で、厳しいながらも
3期目当選の栄を得ることができましたのは
多くの方々の暖かいご指導、ご支援によるものと
心から感謝しています。
心機一転、新たな気持ちで
市民一人ひとりが安心して暮らせる
まちづくりに取り組んでまいります。

さて、今回の選挙の結果を振り返ってみると…。

 選挙の1~2年前から、私が所属する会派に
 所属していた元メンバーへの攻撃が
 ブログやチラシで執拗に続けられ
 その会派に所属するというだけで
 私に対しても、いわれのない中傷が
 選挙直前、選挙中にも
 行われていました。

 前回、前前回の得票が分を超えていたために
 「まつおさんは大丈夫だから」と地元地区を中心に
 票を割る動きがあったこと。
 党派所属などの固い票があるわけではない
 ニュータウンの無所属に
 「大丈夫」は決してないと
 改めて感じさせられた選挙でした。

 こうしたことはある程度予想できていたことですが
 自分自身の気持ちがまだまだ甘かったのかなと
 反省しています。

 個人的には、前回は5人家族で、
 家族の協力が全面的に得られていましたが
 一昨年、2人の娘が相次いで結婚し
 昨年にはそれぞれに赤ちゃんが生まれ、
 生後数か月の赤ちゃんを抱えて手伝いにくるのが
 困難であったことや、他の事情もあり、
 基礎の家族力が半減していました。
 
ニュータウン住まいで親せきや同級生等も
近場にはいない中で、
こうした状況を家族や親せきのように心配し、
力になって下さったのは
これまでも何度も私の選挙を支えて下さった
ご近所や友人たちによる後援会の皆さまです。

長くは書きませんが、
私のためにできることをと駆けつけて下さり、
厳しい選挙を一緒に戦って下さった皆様には
心から感謝しています。
そして、こうした様々な状況の中で
私を信じて1票を託して下さった皆様、
皆様の信頼をしっかりと胸に受け止め、
これからも市政の発展、市民福祉の向上に
誠心誠意取り組んでまいります。
今後とも、なお一層のご支援、ご鞭撻を
いただきますよう、お願い申し上げます。

新年にあたって

明けましておめでとうございます。

2013年は、台風、土砂災害等、自然の猛威が各地を襲い
安心・安全な暮らしへの備え、人と人との絆の大切さが
改めて強く実感される年となりました。

また、私たちが暮らす印西市においても、
◎千葉ニュータウン事業の収束に伴う課題
◎北総線運賃問題の新局面への突入
◎クリーンセンター白紙撤回に伴う延命化の費用と期間の問題
◎高齢化に対応できる医療・福祉体制の実現
◎いざというとき本当に頼れる安心の防災体制の構築
等々、困難な課題が次々と湧き起こる激動の年でありました。

やるべき課題が山のように積もり積もる中で
議会の一部では、最重要課題をそっちのけで
仲間内を敵と味方に2極分解し
ブログやチラシで敵方を罵倒することで
自らを正当化する、そんな方々の姿も見られました。

そうこうしているうちに
北総線の運賃問題では、何年もかけて築き上げてきた
県や沿線市との信頼関係が破たんに向かい、
千葉ニュータウン事業は、未処分地が最も多い印西市で
十分に事業者との意思疎通が図られないまま
多くの課題を残して終了目前になってきています。
新たな用地の見通しもないまま白紙撤回された
印西クリーンセンターの更新問題では、
老朽化が進むクリーンセンターの延命化に
新たに40億円もの費用が必要になり、
その上、移転どころか
これまでの30年間に加え、工事を加えた今後十数年間は
現在地で稼働を続ける事態になろうとしています…。

今最優先されるべきことは何なのか
100年後の人々からみて
今を生きる私たちは本当に必要な行動をとっているのか、
この原点に立ち返って、
2014年は行動し、
積極的に発信していきたいと思います。

どうか、世界にとっても、印西市にとっても
あなたにとっても、私にとっても
2014年が良い年となりますように。

ニュータウン草創の30年を振り返る~木刈小・中30周年

11月、印西市立木刈小学校、木刈中学校で
創立30周年記念式典が開かれ、
地域の多くの方々と共に出席してきました。

木刈小学校、木刈中学校は、
印西市で初めて千葉ニュータウンの入居が開始された
ニュータウン中央駅圏に、昭和59年4月1日、
駅南側の内野小学校と同時に開校しました。

創立当時、広大な造成地で、見渡す限り何もなかった中央駅圏で
新しい街が生まれる期待と共に入居した
牧の木戸、木刈3丁目、木刈4丁目の皆さんは、
真新しい地域の学校を一から育てていくため
植樹や草取り、不足の備品のためのバザーと、
まだまだ少なかった入居世帯が一体で、年中、学校に足を運び、
創立当初の校長先生や教職員の皆さんと共に、
学校づくりに汗を流してきたと聞いています。

我が家はその4年後、昭和63年末に入居が開始された
木刈2丁目の一期生ですが、
その頃でも駅の周辺は木刈の住宅地から駅を超えて内野の団地まで
見渡す限り何もなく、わずかに駅前に白い時計台だけがありました。
(それができたばかりのクリーンセンターの煙突であることは、
 どのパンフレットにもなく、後になってようやくわかったことです。)
北総線の両側の国道464号も当時は南側しかなく、
中央駅への進入路も南側にしかありませんでした。
駅北側は木刈中学校前の道路から駅まで一切道路はなく、
小倉台地区も桜台地区もなく(当然、間の道路もなく)
現在の印西西消防署前、千葉興銀前(当時建物はなし)を経て
随分大回りをして南側から中央駅へ入っていました。

我が家を訪ねてくれた友人が、中央駅へ降り立って開口一番、
砂漠のはるか向こうに広がる木刈の住宅地を指さし、
「あれはどこの町?」と尋いたことは
今でこその笑い話です。

現在のイオンから小倉台地区の全体にわたる駅北側の大造成地が
秋には一面のコスモス畑になり、ピンクや白のコスモスの花じゅうたんの中で
盛大なコスモスまつりが開かれていたこと、
往年のグループサウンズの野外コンサート会場になったことなど、
現在の中央駅周辺のみを知る皆さんには想像もつかないことでしょうね。

11月16日開かれた木刈小学校30周年式典では
伊藤義一初代校長をはじめ歴代校長、教頭先生、
また地域で木刈小学校を支え育ててきた
木刈地区の各自治会や各種団体代表など40数名の来賓、
児童、PTA、保護者ら計500人近くが集い、
30周年を祝いました。

厳かな中にもほのぼのと心温まる記念式典に続き、
第2部では趣向を凝らした記念事業。
印西ゆめ太鼓の演奏、
木刈小卒業生のお母さんと在校生親子による「たすきリレー」、
30年の歴史を綴るスライドショーなどに続き、
木刈小出身で、現在メジャーで大活躍の
「EXILE」NAOKIさんからのビデオレター、
また木刈小出身の声楽家、倉本晋児さんのミニコンサートなどが開かれ
子どもたちをはじめ、保護者、来賓席も大いに盛り上がりました。

木刈中学校30周年式典は11月29日
これもたくさんの来賓が集い、3部仕立てで
式典、記念事業が開かれました。
木刈中の歴史を振り返る記念式典に続き
生徒たちが主体の第2部は
団員に木刈中生も所属する印西ゆめ太鼓の演奏、
ソーラン節、吹奏楽演奏、
30周年記念合唱団、全校合唱と
同校伝統の素晴らしい合唱力を活かした感動の式典となりました。
「EXILE」NAOKIさんからもビデオレターが寄せられ、
第一線で活躍する卒業生からのサプライズプレゼントに
中学生たちからは大きな歓声がわきあがっていました。

第3部では、“美しい体操”を目指し、北京オリンピック、
ロンドンオリンピックにも在校生、出身者が出場した
市内の順天堂大学体操競技部が華麗な演技を披露しました。

木刈小学校、木刈中学校、30周年おめでとうございます。
式典の準備にあたられた両校、PTAの皆様
本当にお疲れさまでした。
小学校、中学校の30周年は
開拓の地を、お父さん、お母さん方が駆け抜けてきた
30年でもあります。
おかげで地域の方々も学校と共に素晴らしい30周年を祝うことができました。
これからも共に、新しい地域を創ってまいりましょう!

1泊1日

あっというまに5月連休が終わり、会社も学校も活動開始です。
去年の連休は、車を駆って1泊1日で富山の実家へ帰り
母の笑顔を見たのに、
今年は、母の写真の前に白いカーネーションを飾って
母の日を迎えます。

1泊1日は、夜中に7~8時間車で走り、
朝方富山に着いて日中を実家で過ごし
夕方出発、深夜に帰宅するハードな行程。
毎日のように何かがある新聞発行業の中で
長年の間にしみついた帰省方法です。

10年前、父が2年ほど入院した時も、
1泊1日で毎月会いに行ってきました。
高速を使っても7~8時間。
新幹線と特急を使っても7~8時間(ドアtoドア)。
ほんとうに北陸は遠いところです。

高速道路区間は、実際は5時間半くらいですが
高速までがまた遠い。
常磐柏~外環道経由でも、一般道~外環三郷へ入っても
自宅から関越練馬まで1時間半はかかります。
それでも昔、外環道、関越道がなかった頃に比べたら
北陸は格段に近くはなったのですが、
外環道も北千葉道路も北陸新幹線も
間に合いませんでしたね、父さん、母さん。

千葉ニュータウンでも
「高速への入口までが遠い」という声が
あちこちから聞こえます。
人が住むにも企業が来るにも、高速へのアクセスは大問題。
将来にわたって安心して住めるまちづくりのためにも、
北総線の運賃問題とともに、
北千葉道路の市川・鎌ケ谷間の早期事業化に、
これからも取り組んでいきます。
       

海の香り

ふるさとは見渡す限り緑の稲田
秋には黄金色の稲田が続く
平野部のど真ん中。
小さい頃から
青い海にあこがれを持って育ってきた。
たまにいく海は
潮の香りと波音、無限に広がる水と空の景色で
子どもの私に遥かな未知の世界への
夢をかき立ててくれた。

今また海とは遠い暮らしをしているけれど
昨日出会った人は、海辺の街から
あのなつかしい海の香りを運んできてくれた。
ひじきに海苔に鯛の味噌
潮の香りとともに
空と水が重なるあの青い地平線の記憶が蘇る。

こんなに世界は近くなったけれど
人間と人間が
ああだこうだ争っているけれど
やっぱり自然はずっと大きい。

人間が人間を
だましたり、殺したり、
疑ったり、だしにしたり。

この大きな自然の中で
ほんのひととき栄えている人間が
自然への畏敬を失ったとき
ひとの歴史は終わるのではないだろうか。

青い地平線を思いながら
生きていけば
きっと道を間違わない。


「目指す」ということ

 私は昨年の正月まで16年間、印西市を含む
千葉ニュータウン地域の新聞を発行してきました。
紙面には書きませんでしたが、
今北総で起こっている事実ができるだけそのまま読者に伝わり、
人々がその記事をもとに、今わがまちで起こっていることを知り、
考え、話し合うことのできる紙面を目指して、
毎月毎月、締切りの限界の中で、
一つの記事についても、市町村や県、時には国まで直接取材し、
何日も徹夜しながら、
「日本一」読みやすく、わかりやすい新聞づくりを
目指してきました。

「目指す」というのは、
目標を掲げ、それに向けて努力を続けることです。
「これでいい」ではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と考え
妥協しないことです。

明け方まで一面のトップ記事について書き直し、
そのまま印刷所に向かい、一日校正をしながらさらに書き込み、
夕方仕上がった新聞を20数軒の新聞販売店に
ふらふらになりながら届けたことも
今は懐かしい思い出ですが、
1号1号、決して「これでまあいいや」と妥協しなかったこと、
常に、その時できる最高を目指してきたことが、
私の誇りです。
(16年の無理のおかげで、身体はボロボロになりましたが。)

 新聞は、当初の目標であった15年を超え、
「精一杯やった」と思えたことで
昨年の新年号をもって終刊とさせていただきました。

現在、私は皆様のおかげで議会に議席をいただき、
これまで地域を歩き、
さまざまなものや出来事をみてまわった経験を生かして
微力ながらもまちづくりに関われることになりましたが、
この場合でも、私の目標は
「日本一住みやすいまち」を目指すことです。

「これでいい」とか、「この程度で仕方がない」と
どこかであきらめてしまうのではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と見直しながら、
こうした思いを一つにできる仲間と共に
努力を重ねていきたいと考えています。

母 そして音楽

10月中旬、母が亡くなった。
子ども3人の中で、一人遠くに住む私をいつも気遣ってくれた母。
大学へ進学する時、周囲の反対の中で、味方になってくれた母。
帰る時にはいつも、「がんばれよ。またこいよ。」と声をかけてくれた母。

歌が大好きで、水仕事をしながら
よく歌を歌っていた母。

父とほんとうに仲良しで、父が亡くなってからは
淋しい毎日を過ごしていた。
もう少し長生きしてくれるといつもいつも思っていて、
ほんとうに必要な時に、力になってあげられなかった。

悔いは、たくさんある。

でも、母が亡くなってから、不思議なことに
すてきな音楽との出会いがいくつも続き、
私の心をなぐさめてくれるのだ。

1つ目は、地元出身の大野靖之さん。
音楽が好きで、お母さんの応援で音楽科に進み、
そのお母さんが亡くなられたことを機に
命や愛をテーマに歌を作り、
全国の小中学校や施設で歌い続ける
若きシンガー・ソングライター(25)。

彼とは数年前、取材で知り合ったのだが、
たまたま地元の小学校でPTA主催のコンサートが開かれ
母を亡くしたばかりの私は、久しぶりに彼の歌声を聞いたのだ。

数年前に聞いた時には、
最大の理解者であるお母さんを亡くした哀しみが
歌を色濃く覆っている感じがしたのだが、
今回のコンサートでは、
たとえお母さんは亡くなったとしても
お母さんの愛に包まれ、
未来へ向かって羽ばたけることの幸せを
子どもたちに伝えているように見えた。
いつも私を応援してくれていた母に
うちひしがれて落ち込んでいる姿を
見せてはいけないと思わせてくれた。

2つ目は、これも偶然。
11月の初め、都内での用事にあわせ、
めったに会えない川崎の友人に
久しぶりに会えないかと電話をかけたら、
ちょうどその日、私の行き先のすぐそばで
以前から彼女が応援しているシンガー・ソングライターの
コンサートがあり、出かけるのだという。
用事を済ませ、さっそく彼女と合流。
教会で開かれたコンサートに参加した。

コンサートの主は、サラエボ出身のヤドランカさん。
16歳の頃からジャズ・グループに参加し、
大学在学中からシンガー・ソングライターとして活動。
ヨーロッパ各地でヒット・チャートに入り、
サラエボ冬期オリンピック番組のテーマソングも手がけたという。
日本では90年から活動。NHKスペシャルや
民放ドラマの主題歌、挿入歌なども歌っている。

彼女が故国ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で帰国できなくなり、
ビザが切れそうになった時から、
友人は彼女を支援しているのだという。

日本をはじめ世界の子守唄、
子規や一茶の俳句を素材にした曲など、
国境を越えて人々の暮らしや文化にも目を注ぐ彼女の歌は、
一度聞いただけでメロディーが口をついて出てくるほど心になじむ歌。
愛に満ちた語りと共に、深く心に沁み入ってきた。

3つ目は、富山の実家のそばに住む友人から、
今日届いたCD。
彼女は、田舎を離れて数十年になる私の母の訃報を聞き、
すぐに通夜に駆けつけて来てくれた。

CDは、徳永英明の「VOCALIST]。
私がこれまでも好きだった美しくやさしい曲の数々が、
徳永英明のVOCALで、次々と綴られている。
ありがとう。
今日ほど友の有難みを感じたことはありません。

母さん、
今思えば
私はほんとうに我ままだったのに、
いつもいつも、私を信じてくれたね。
無条件に愛してくれたね。
ありがとう。
私も母さんに近づけるよう、がんばります。

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