1泊1日
あっというまに5月連休が終わり、会社も学校も活動開始です。
去年の連休は、車を駆って1泊1日で富山の実家へ帰り
母の笑顔を見たのに、
今年は、母の写真の前に白いカーネーションを飾って
母の日を迎えます。
1泊1日は、夜中に7〜8時間車で走り、
朝方富山に着いて日中を実家で過ごし
夕方出発、深夜に帰宅するハードな行程。
毎日のように何かがある新聞発行業の中で
長年の間にしみついた帰省方法です。
10年前、父が2年ほど入院した時も、
1泊1日で毎月会いに行ってきました。
高速を使っても7〜8時間。
新幹線と特急を使っても7〜8時間(ドアtoドア)。
ほんとうに北陸は遠いところです。
高速道路区間は、実際は5時間半くらいですが
高速までがまた遠い。
常磐柏〜外環道経由でも、一般道〜外環三郷へ入っても
自宅から関越練馬まで1時間半はかかります。
それでも昔、外環道、関越道がなかった頃に比べたら
北陸は格段に近くはなったのですが、
外環道も北千葉道路も北陸新幹線も
間に合いませんでしたね、父さん、母さん。
千葉ニュータウンでも
「高速への入口までが遠い」という声が
あちこちから聞こえます。
人が住むにも企業が来るにも、高速へのアクセスは大問題。
将来にわたって安心して住めるまちづくりのためにも、
北総線の運賃問題とともに、
北千葉道路の市川・鎌ケ谷間の早期事業化に、
これからも取り組んでいきます。
去年の連休は、車を駆って1泊1日で富山の実家へ帰り
母の笑顔を見たのに、
今年は、母の写真の前に白いカーネーションを飾って
母の日を迎えます。
1泊1日は、夜中に7〜8時間車で走り、
朝方富山に着いて日中を実家で過ごし
夕方出発、深夜に帰宅するハードな行程。
毎日のように何かがある新聞発行業の中で
長年の間にしみついた帰省方法です。
10年前、父が2年ほど入院した時も、
1泊1日で毎月会いに行ってきました。
高速を使っても7〜8時間。
新幹線と特急を使っても7〜8時間(ドアtoドア)。
ほんとうに北陸は遠いところです。
高速道路区間は、実際は5時間半くらいですが
高速までがまた遠い。
常磐柏〜外環道経由でも、一般道〜外環三郷へ入っても
自宅から関越練馬まで1時間半はかかります。
それでも昔、外環道、関越道がなかった頃に比べたら
北陸は格段に近くはなったのですが、
外環道も北千葉道路も北陸新幹線も
間に合いませんでしたね、父さん、母さん。
千葉ニュータウンでも
「高速への入口までが遠い」という声が
あちこちから聞こえます。
人が住むにも企業が来るにも、高速へのアクセスは大問題。
将来にわたって安心して住めるまちづくりのためにも、
北総線の運賃問題とともに、
北千葉道路の市川・鎌ケ谷間の早期事業化に、
これからも取り組んでいきます。
海の香り
ふるさとは見渡す限り緑の稲田
秋には黄金色の稲田が続く
平野部のど真ん中。
小さい頃から
青い海にあこがれを持って育ってきた。
たまにいく海は
潮の香りと波音、無限に広がる水と空の景色で
子どもの私に遥かな未知の世界への
夢をかき立ててくれた。
今また海とは遠い暮らしをしているけれど
昨日出会った人は、海辺の街から
あのなつかしい海の香りを運んできてくれた。
ひじきに海苔に鯛の味噌
潮の香りとともに
空と水が重なるあの青い地平線の記憶が蘇る。
こんなに世界は近くなったけれど
人間と人間が
ああだこうだ争っているけれど
やっぱり自然はずっと大きい。
人間が人間を
だましたり、殺したり、
疑ったり、だしにしたり。
この大きな自然の中で
ほんのひととき栄えている人間が
自然への畏敬を失ったとき
ひとの歴史は終わるのではないだろうか。
青い地平線を思いながら
生きていけば
きっと道を間違わない。
秋には黄金色の稲田が続く
平野部のど真ん中。
小さい頃から
青い海にあこがれを持って育ってきた。
たまにいく海は
潮の香りと波音、無限に広がる水と空の景色で
子どもの私に遥かな未知の世界への
夢をかき立ててくれた。
今また海とは遠い暮らしをしているけれど
昨日出会った人は、海辺の街から
あのなつかしい海の香りを運んできてくれた。
ひじきに海苔に鯛の味噌
潮の香りとともに
空と水が重なるあの青い地平線の記憶が蘇る。
こんなに世界は近くなったけれど
人間と人間が
ああだこうだ争っているけれど
やっぱり自然はずっと大きい。
人間が人間を
だましたり、殺したり、
疑ったり、だしにしたり。
この大きな自然の中で
ほんのひととき栄えている人間が
自然への畏敬を失ったとき
ひとの歴史は終わるのではないだろうか。
青い地平線を思いながら
生きていけば
きっと道を間違わない。
「目指す」ということ
私は昨年の正月まで16年間、印西市を含む
千葉ニュータウン地域の新聞を発行してきました。
紙面には書きませんでしたが、
今北総で起こっている事実ができるだけそのまま読者に伝わり、
人々がその記事をもとに、今わがまちで起こっていることを知り、
考え、話し合うことのできる紙面を目指して、
毎月毎月、締切りの限界の中で、
一つの記事についても、市町村や県、時には国まで直接取材し、
何日も徹夜しながら、
「日本一」読みやすく、わかりやすい新聞づくりを
目指してきました。
「目指す」というのは、
目標を掲げ、それに向けて努力を続けることです。
「これでいい」ではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と考え
妥協しないことです。
明け方まで一面のトップ記事について書き直し、
そのまま印刷所に向かい、一日校正をしながらさらに書き込み、
夕方仕上がった新聞を20数軒の新聞販売店に
ふらふらになりながら届けたことも
今は懐かしい思い出ですが、
1号1号、決して「これでまあいいや」と妥協しなかったこと、
常に、その時できる最高を目指してきたことが、
私の誇りです。
(16年の無理のおかげで、身体はボロボロになりましたが。)
新聞は、当初の目標であった15年を超え、
「精一杯やった」と思えたことで
昨年の新年号をもって終刊とさせていただきました。
現在、私は皆様のおかげで議会に議席をいただき、
これまで地域を歩き、
さまざまなものや出来事をみてまわった経験を生かして
微力ながらもまちづくりに関われることになりましたが、
この場合でも、私の目標は
「日本一住みやすいまち」を目指すことです。
「これでいい」とか、「この程度で仕方がない」と
どこかであきらめてしまうのではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と見直しながら、
こうした思いを一つにできる仲間と共に
努力を重ねていきたいと考えています。
千葉ニュータウン地域の新聞を発行してきました。
紙面には書きませんでしたが、
今北総で起こっている事実ができるだけそのまま読者に伝わり、
人々がその記事をもとに、今わがまちで起こっていることを知り、
考え、話し合うことのできる紙面を目指して、
毎月毎月、締切りの限界の中で、
一つの記事についても、市町村や県、時には国まで直接取材し、
何日も徹夜しながら、
「日本一」読みやすく、わかりやすい新聞づくりを
目指してきました。
「目指す」というのは、
目標を掲げ、それに向けて努力を続けることです。
「これでいい」ではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と考え
妥協しないことです。
明け方まで一面のトップ記事について書き直し、
そのまま印刷所に向かい、一日校正をしながらさらに書き込み、
夕方仕上がった新聞を20数軒の新聞販売店に
ふらふらになりながら届けたことも
今は懐かしい思い出ですが、
1号1号、決して「これでまあいいや」と妥協しなかったこと、
常に、その時できる最高を目指してきたことが、
私の誇りです。
(16年の無理のおかげで、身体はボロボロになりましたが。)
新聞は、当初の目標であった15年を超え、
「精一杯やった」と思えたことで
昨年の新年号をもって終刊とさせていただきました。
現在、私は皆様のおかげで議会に議席をいただき、
これまで地域を歩き、
さまざまなものや出来事をみてまわった経験を生かして
微力ながらもまちづくりに関われることになりましたが、
この場合でも、私の目標は
「日本一住みやすいまち」を目指すことです。
「これでいい」とか、「この程度で仕方がない」と
どこかであきらめてしまうのではなく、
常に「さらにより良いかたちがあるのではないか」と見直しながら、
こうした思いを一つにできる仲間と共に
努力を重ねていきたいと考えています。
母 そして音楽
10月中旬、母が亡くなった。
子ども3人の中で、一人遠くに住む私をいつも気遣ってくれた母。
大学へ進学する時、周囲の反対の中で、味方になってくれた母。
帰る時にはいつも、「がんばれよ。またこいよ。」と声をかけてくれた母。
歌が大好きで、水仕事をしながら
よく歌を歌っていた母。
父とほんとうに仲良しで、父が亡くなってからは
淋しい毎日を過ごしていた。
もう少し長生きしてくれるといつもいつも思っていて、
ほんとうに必要な時に、力になってあげられなかった。
悔いは、たくさんある。
でも、母が亡くなってから、不思議なことに
すてきな音楽との出会いがいくつも続き、
私の心をなぐさめてくれるのだ。
1つ目は、地元出身の大野靖之さん。
音楽が好きで、お母さんの応援で音楽科に進み、
そのお母さんが亡くなられたことを機に
命や愛をテーマに歌を作り、
全国の小中学校や施設で歌い続ける
若きシンガー・ソングライター(25)。
彼とは数年前、取材で知り合ったのだが、
たまたま地元の小学校でPTA主催のコンサートが開かれ
母を亡くしたばかりの私は、久しぶりに彼の歌声を聞いたのだ。
数年前に聞いた時には、
最大の理解者であるお母さんを亡くした哀しみが
歌を色濃く覆っている感じがしたのだが、
今回のコンサートでは、
たとえお母さんは亡くなったとしても
お母さんの愛に包まれ、
未来へ向かって羽ばたけることの幸せを
子どもたちに伝えているように見えた。
いつも私を応援してくれていた母に
うちひしがれて落ち込んでいる姿を
見せてはいけないと思わせてくれた。
2つ目は、これも偶然。
11月の初め、都内での用事にあわせ、
めったに会えない川崎の友人に
久しぶりに会えないかと電話をかけたら、
ちょうどその日、私の行き先のすぐそばで
以前から彼女が応援しているシンガー・ソングライターの
コンサートがあり、出かけるのだという。
用事を済ませ、さっそく彼女と合流。
教会で開かれたコンサートに参加した。
コンサートの主は、サラエボ出身のヤドランカさん。
16歳の頃からジャズ・グループに参加し、
大学在学中からシンガー・ソングライターとして活動。
ヨーロッパ各地でヒット・チャートに入り、
サラエボ冬期オリンピック番組のテーマソングも手がけたという。
日本では90年から活動。NHKスペシャルや
民放ドラマの主題歌、挿入歌なども歌っている。
彼女が故国ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で帰国できなくなり、
ビザが切れそうになった時から、
友人は彼女を支援しているのだという。
日本をはじめ世界の子守唄、
子規や一茶の俳句を素材にした曲など、
国境を越えて人々の暮らしや文化にも目を注ぐ彼女の歌は、
一度聞いただけでメロディーが口をついて出てくるほど心になじむ歌。
愛に満ちた語りと共に、深く心に沁み入ってきた。
3つ目は、富山の実家のそばに住む友人から、
今日届いたCD。
彼女は、田舎を離れて数十年になる私の母の訃報を聞き、
すぐに通夜に駆けつけて来てくれた。
CDは、徳永英明の「VOCALIST]。
私がこれまでも好きだった美しくやさしい曲の数々が、
徳永英明のVOCALで、次々と綴られている。
ありがとう。
今日ほど友の有難みを感じたことはありません。
母さん、
今思えば
私はほんとうに我ままだったのに、
いつもいつも、私を信じてくれたね。
無条件に愛してくれたね。
ありがとう。
私も母さんに近づけるよう、がんばります。
子ども3人の中で、一人遠くに住む私をいつも気遣ってくれた母。
大学へ進学する時、周囲の反対の中で、味方になってくれた母。
帰る時にはいつも、「がんばれよ。またこいよ。」と声をかけてくれた母。
歌が大好きで、水仕事をしながら
よく歌を歌っていた母。
父とほんとうに仲良しで、父が亡くなってからは
淋しい毎日を過ごしていた。
もう少し長生きしてくれるといつもいつも思っていて、
ほんとうに必要な時に、力になってあげられなかった。
悔いは、たくさんある。
でも、母が亡くなってから、不思議なことに
すてきな音楽との出会いがいくつも続き、
私の心をなぐさめてくれるのだ。
1つ目は、地元出身の大野靖之さん。
音楽が好きで、お母さんの応援で音楽科に進み、
そのお母さんが亡くなられたことを機に
命や愛をテーマに歌を作り、
全国の小中学校や施設で歌い続ける
若きシンガー・ソングライター(25)。
彼とは数年前、取材で知り合ったのだが、
たまたま地元の小学校でPTA主催のコンサートが開かれ
母を亡くしたばかりの私は、久しぶりに彼の歌声を聞いたのだ。
数年前に聞いた時には、
最大の理解者であるお母さんを亡くした哀しみが
歌を色濃く覆っている感じがしたのだが、
今回のコンサートでは、
たとえお母さんは亡くなったとしても
お母さんの愛に包まれ、
未来へ向かって羽ばたけることの幸せを
子どもたちに伝えているように見えた。
いつも私を応援してくれていた母に
うちひしがれて落ち込んでいる姿を
見せてはいけないと思わせてくれた。
2つ目は、これも偶然。
11月の初め、都内での用事にあわせ、
めったに会えない川崎の友人に
久しぶりに会えないかと電話をかけたら、
ちょうどその日、私の行き先のすぐそばで
以前から彼女が応援しているシンガー・ソングライターの
コンサートがあり、出かけるのだという。
用事を済ませ、さっそく彼女と合流。
教会で開かれたコンサートに参加した。
コンサートの主は、サラエボ出身のヤドランカさん。
16歳の頃からジャズ・グループに参加し、
大学在学中からシンガー・ソングライターとして活動。
ヨーロッパ各地でヒット・チャートに入り、
サラエボ冬期オリンピック番組のテーマソングも手がけたという。
日本では90年から活動。NHKスペシャルや
民放ドラマの主題歌、挿入歌なども歌っている。
彼女が故国ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で帰国できなくなり、
ビザが切れそうになった時から、
友人は彼女を支援しているのだという。
日本をはじめ世界の子守唄、
子規や一茶の俳句を素材にした曲など、
国境を越えて人々の暮らしや文化にも目を注ぐ彼女の歌は、
一度聞いただけでメロディーが口をついて出てくるほど心になじむ歌。
愛に満ちた語りと共に、深く心に沁み入ってきた。
3つ目は、富山の実家のそばに住む友人から、
今日届いたCD。
彼女は、田舎を離れて数十年になる私の母の訃報を聞き、
すぐに通夜に駆けつけて来てくれた。
CDは、徳永英明の「VOCALIST]。
私がこれまでも好きだった美しくやさしい曲の数々が、
徳永英明のVOCALで、次々と綴られている。
ありがとう。
今日ほど友の有難みを感じたことはありません。
母さん、
今思えば
私はほんとうに我ままだったのに、
いつもいつも、私を信じてくれたね。
無条件に愛してくれたね。
ありがとう。
私も母さんに近づけるよう、がんばります。
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