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2市長が運賃値下げ補助金継続拒否を明言

昨日、印西、白井2市長が
平成27年度以降の北総鉄道への
運賃値下げ補助金不交付を表明した

京成と北総鉄道が「こうできるはずだ」という
外からのそろばん勘定で
高校・大学生を持つ市民家庭の苦労を
賭けに使ってしまった
運賃問題について
県や沿線他市の協力も今後は得られないだろう

これがどういう結果になるかは
歴史が証明していくことになるだろう

北総線の更なる運賃値下げへ合意形成を求める決議案

印西市議会最終日の12月18日、「北総線の更なる運賃値下げのため、
関係者間の合意形成を求める決議案」が議員発議案として出され、
15対5で可決されました。
賛成議員は海老原、浅沼、岩崎、近藤、酢崎、中澤、橋本、藤代、
松尾、上條、軍司、金丸、板橋、松本、小川義の各議員、
反対議員は雨宮、大塚、国嶋、山本、山田の各議員です。

決議案は、補助金交付の継続も含めて検討し、
「北総線を利用する市民の利益を最優先に考え、
平成27年度以降の北総線運賃の更なる値下げのため、
慎重かつ合理的判断に基づき、関係者間の合意形成を求める」ものです。

私は同決議案提出に対し、賛同議員として名を連ねると共に
北総線を使って通学する高校生、大学生を持つ市民家庭の立場で
賛成討論を行いました。

<賛成討論全文>
議席番号13番、松尾栄子です。発議案第2号、北総線運賃の更なる値下げのため、関係者間の合意形成を求める決議について、賛成の立場から討論を行います。
 いろいろ高尚な議論が行われていますが、私はただただ、この結果で影響を受ける市民家庭の立場から討論を行います。
 北総線の運賃問題については、千葉ニュータウン入居者、沿線住民は長年にわたり、大変高額な運賃の中で苦労してきました。特に高校生、大学生を持つ家庭の負担は非常に重く、子どもが高校生になる時期になると、千葉ニュータウンからよそへ転出していく世帯が相次いでいました。
 この高額運賃、高額な通学定期の負担にあえぐ市民家庭を何とか救えないかと、印西市は近隣の当時の1市2村に呼び掛け、平成17年から通学定期助成を開始しました。これがこの地域の運賃値下げへの第1歩になりました。しかし、これは市への負担も大きく、年齢制限等により救済されない人などもありました。
 このため印西市は、さらなる一歩として県や他の沿線市にも呼び掛け、平成22年7月から現在の枠組みの中で北総鉄道への補助による運賃値下げがスタートしました。
 地域の未来を担う子どもたち、それを抱える市民世帯への熱く温かい思いが、千葉ニュータウン地域の印西市、白井市のみならず、市川市、松戸市、鎌ケ谷市、船橋市の、北総線以外にも鉄道を持つ各市や県、国をも動かしてこの枠組みを実現しました。
 今、この枠組みの維持が問われています。新たなスキームという話もありましたが、今後にわたってこの運賃問題の解決に取り組んでいくには、沿線市の信頼関係がなければ不可能です。こわすのは簡単ですが、この枠組みを新たに作るのは本当に大変なことです。
 決議案にもあるように、万が一にも協議が行われないままに沿線6市の枠組みが破たんし、北総線の運賃が値上げされる事態になれば、あの高校生、大学生のいる家庭が次々に地域外へ転出していく不毛の時代に逆戻りしてしまいます。
 当事者である印西市が主体的にならずに、どうして県や他の沿線市が前向きに取り組んでくれるでしょうか。市は12月末までに市としての結論を出すとしています。今ならまだ間に合います。印西市が主体となり、白井市、船橋市にも積極的に呼び掛け、沿線に住む市民家庭への思いを最優先に、沿線市間の信頼回復に努め、決議案にある通り、北総線運賃の更なる値下げのため、慎重かつ合理的判断に基づき、関係者間の合意形成を求めていくことを期して、賛成討論といたします。  (12月18日印西市議会最終日)

ニュータウン草創の30年を振り返る~木刈小・中30周年

11月、印西市立木刈小学校、木刈中学校で
創立30周年記念式典が開かれ、
地域の多くの方々と共に出席してきました。

木刈小学校、木刈中学校は、
印西市で初めて千葉ニュータウンの入居が開始された
ニュータウン中央駅圏に、昭和59年4月1日、
駅南側の内野小学校と同時に開校しました。

創立当時、広大な造成地で、見渡す限り何もなかった中央駅圏で
新しい街が生まれる期待と共に入居した
牧の木戸、木刈3丁目、木刈4丁目の皆さんは、
真新しい地域の学校を一から育てていくため
植樹や草取り、不足の備品のためのバザーと、
まだまだ少なかった入居世帯が一体で、年中、学校に足を運び、
創立当初の校長先生や教職員の皆さんと共に、
学校づくりに汗を流してきたと聞いています。

我が家はその4年後、昭和63年末に入居が開始された
木刈2丁目の一期生ですが、
その頃でも駅の周辺は木刈の住宅地から駅を超えて内野の団地まで
見渡す限り何もなく、わずかに駅前に白い時計台だけがありました。
(それができたばかりのクリーンセンターの煙突であることは、
 どのパンフレットにもなく、後になってようやくわかったことです。)
北総線の両側の国道464号も当時は南側しかなく、
中央駅への進入路も南側にしかありませんでした。
駅北側は木刈中学校前の道路から駅まで一切道路はなく、
小倉台地区も桜台地区もなく(当然、間の道路もなく)
現在の印西西消防署前、千葉興銀前(当時建物はなし)を経て
随分大回りをして南側から中央駅へ入っていました。

我が家を訪ねてくれた友人が、中央駅へ降り立って開口一番、
砂漠のはるか向こうに広がる木刈の住宅地を指さし、
「あれはどこの町?」と尋いたことは
今でこその笑い話です。

現在のイオンから小倉台地区の全体にわたる駅北側の大造成地が
秋には一面のコスモス畑になり、ピンクや白のコスモスの花じゅうたんの中で
盛大なコスモスまつりが開かれていたこと、
往年のグループサウンズの野外コンサート会場になったことなど、
現在の中央駅周辺のみを知る皆さんには想像もつかないことでしょうね。

11月16日開かれた木刈小学校30周年式典では
伊藤義一初代校長をはじめ歴代校長、教頭先生、
また地域で木刈小学校を支え育ててきた
木刈地区の各自治会や各種団体代表など40数名の来賓、
児童、PTA、保護者ら計500人近くが集い、
30周年を祝いました。

厳かな中にもほのぼのと心温まる記念式典に続き、
第2部では趣向を凝らした記念事業。
印西ゆめ太鼓の演奏、
木刈小卒業生のお母さんと在校生親子による「たすきリレー」、
30年の歴史を綴るスライドショーなどに続き、
木刈小出身で、現在メジャーで大活躍の
「EXILE」NAOKIさんからのビデオレター、
また木刈小出身の声楽家、倉本晋児さんのミニコンサートなどが開かれ
子どもたちをはじめ、保護者、来賓席も大いに盛り上がりました。

木刈中学校30周年式典は11月29日
これもたくさんの来賓が集い、3部仕立てで
式典、記念事業が開かれました。
木刈中の歴史を振り返る記念式典に続き
生徒たちが主体の第2部は
団員に木刈中生も所属する印西ゆめ太鼓の演奏、
ソーラン節、吹奏楽演奏、
30周年記念合唱団、全校合唱と
同校伝統の素晴らしい合唱力を活かした感動の式典となりました。
「EXILE」NAOKIさんからもビデオレターが寄せられ、
第一線で活躍する卒業生からのサプライズプレゼントに
中学生たちからは大きな歓声がわきあがっていました。

第3部では、“美しい体操”を目指し、北京オリンピック、
ロンドンオリンピックにも在校生、出身者が出場した
市内の順天堂大学体操競技部が華麗な演技を披露しました。

木刈小学校、木刈中学校、30周年おめでとうございます。
式典の準備にあたられた両校、PTAの皆様
本当にお疲れさまでした。
小学校、中学校の30周年は
開拓の地を、お父さん、お母さん方が駆け抜けてきた
30年でもあります。
おかげで地域の方々も学校と共に素晴らしい30周年を祝うことができました。
これからも共に、新しい地域を創ってまいりましょう!